*ガテムス弁当*

ガテン夫と愛娘のお弁当の記録

お弁当(夫)220712 健康に暮らす

※今日はちょっと不調で、昔少しつらかった時期のことをずらずらと書き連ねた。お弁当もつくれずおにぎりだけ用意した。内容はあんまりない。あとで書き直すか消すかもしれない。そんな内容なのに書いてしまった。

 

昨日は娘4歳の腹痛で、夕方、かかりつけの小児科に自転車を走らせた。受付から待つこと3時間半、診察と処置を受けてからまた30分待って、状態の確認、先生とお話をして、病院を出たのが22時、それから隣の薬局で処方薬をもらい帰宅した。

娘が小さい時は、もっと遅い時間、深夜未明に、夜間病院によく行ったものだったけれど、久しぶりに夜の病院、少し疲れてしまった。でもこれで終わりだろうからなんとかなるだろう。小さい時は、連日夜間病院、看病、体調が戻れば保育園に預けて仕事に行き、帰ってきてうちでも仕事をし、、と気が張っていたので、できたのだけれど、、できたようで、やっぱりできなかったこともあった。

復職後、3ヶ月ほどで、今度は自分の体に異変が起きた。体温が39度〜40度を超えたまま下がらない、ずっと、毎日、原因不明の熱、それが2週間以上続いて、もうダメかと思った。熱には強いほうだけれど、歩くのがつらい、仕事中椅子から立ち上がれない、ミーティング中声が遠くに聞こえると。業務するにもポンコツ状態だった。それでも続けようとするなんて、、判断力も落ちていたと思う。

私がダメになったら、と考えた時に、まず思ったのは、仕事に行けないということだった、そして、仕事に行けなくなったら、娘を保育園に預けられなくなるということ、それからまたどうして仕事を始められるだろうか、、それよりこの熱は何なのだろうか、、それに、私が倒れたままになったら、娘をみることができなくなったら、主人も仕事に行けなくなる日があるだろう、、どうしよう、と。本当にそうなったら、もうどうしようもなかったと思うけれど、、幸い、幸いに、熱は引いた。

総合病院で精密検査を受けたけれども原因不明のままだった。医師には、職場には検査を受けるのでしばらく休みますと、話しておきなさいと言われた。私は、どれくらい休むことになりますかと質問したのだけれど、医師は、会社に検査で入院すると言えば大体わかるだろうと、言われた。その時に私は軽く恐怖を覚えた。自分はまだ帰れるものと、無事に、早々に帰還できるものと、そう、当たり前のように考えているのだけれど、それは違うのだと、すぐには帰れない旅にでることもあるのだとわかったのだ。それで、先ほどの、もうダメだ、どうなってしまうんだろう、の堂々巡りが始まったんだった。

結局、熱も引き、元の生活に戻れて、いまに至っているのだけれど、あれは、健康に生活すること、それができることの大切さを教えてくれた貴重な経験だった。

たまに忘れそうになるけれど、昨日はふと、また思い出した。日々を大切に、体を大切にしよう。

✳︎主人のお弁当

今日は用意できなかった。おにぎりみっつだけ。シャケ、こんぶ、赤紫蘇(ゆかり)。

アルミホイルでくるんで、持っていってもらった。

f:id:gatemusubento:20220712082444j:image