*ガテムス弁当*

ガテン夫と愛娘のお弁当の記録

お弁当(夫&娘)230702 意識を明確に(ひさしぶりのブログ)

意識を明確に、か、それとも明瞭(めいりょう)にか、明晰(めいせき)に、なのか、言葉に迷ったけれど、今夜いま感じる想いそのままなら、やっぱり「明確に」でいいかなと思った。

意識とは、『自分が現在何をやっているか、今はどんな状況なのかなどが自分でわかる、心の働き。』(Oxford Languagesの定義)なんだそう、あらためて確認してみた。

意識を明確に、もっと簡単に言えば、気をしっかり持とうという感じ。

ずっとブログに向かってこなかったけれど、ずっとブログについて思っていたこと、わかったことがあって、それを書き留めておきたい。

私にとってのブログは、私自身に向かい合う場所だったんだなと、痛感してきた、このブログノータッチの期間に。

何度となくブログを書こうかなと思った。けれど向かうことができなかった。それは、私が私に正面切って向かい合うことができなかったから。いろいろやりたいことをしたいようにやってきた。でもこれでいいのかなと、何か違うことをしているという面があった。だから心苦しくて向き合えなかった。なにが苦しいかというと、自信を持てないこと。これまでだって自信があるなんて思ったことはなかったけれど、今回ばかりは本当に自分を信じられない、自分に顔向けできないことをしていた、自分に嘘をついてきた。だからまともに目を向けることができなかった、私自身に。見てしまったら否定せざるを得ないことが分かっていた。

そしてやっと終わった。それは外部的な要素によって終わった。まるで神様が計画されたかのように、私は間違ったことをしてそれを経験して後悔とそれでもしたいことをした満足といろんなもの、まだ整理のつかない物事を手に入れて、自分自身をまた見られるように、しっかり見つめてみようとなった。そう、こんな小雨降りしきる、しんしんとした真夜中に。

見つめようと、こうやってキーボードをたたいていると、意識が明確になってくるのを感じる。そして気がつくことは、言葉や文章にすることに、私自身の限界があって、ああ言葉足らずだなということ、とってもなんだか、稚拙な感じに思えてきてしまうということ。でも恥ずかしいとか、何か枕詞を使って自分に逃げ道を作ろうとも思ないんだな。これが今の私なんだもの。いまはあるものを使って、私の限界で表現するんだ。

この期間、なにかまるで夢のなかにいたかのように思える。前頭葉(ぜんとうよう)、なにか脳のそのあたりに常に靄(もや)がかかっていたみたいだった、そこが重たかった。前頭葉を調べてみたら脳の機能うち『主に思考や判断し行動する機能を司る』(Active Brain CLUBより)場所なんだそう。確かに、そこがぼーっとしていたと思う。

ぼーっとしている場合では、そうそうない時期であり、時代であり、年齢なんだ、私。

しっかりしよう、意識を明確に、謙虚に真面目にやっていこう。

 

✳︎主人のお弁当(6月のとある日のもの)

(お弁当もアップしてみる、ひさしぶり)

鶏肉のにんにく醤油味揚げたもの、切干大根、卵焼き、キャベツツナサラダ、大根の皮の漬物、梅干し、ぶどう

主人は変わらず元気に毎日汗と泥にまみれて朝から晩まで働いている。太陽のように明るく、大きな声で話してよく笑う。

✳︎娘のお弁当(6月のとある日のもの)

わかめごはん、鶏肉にんにく醤油味揚げたもの、卵焼き、たくわん、ブロッコリーにお塩、大根の皮の漬物、りんご

娘は5歳になった(ひとつ前の記事は約1年前だったからその時は4歳だった)。日々びっくり玉手箱のようにつぎからつぎへと輝かんばかりのエネルギーを発しながら目につくものにとりついては遊び、母親そっくりの口調でおしゃべりして、踊ったり歌ったり泣いたり笑ったりしている。元気な子、目に入れても痛くないの言葉そのまま。

おやすみなさい。

また少しずつ進んでいこう、私もブログもね。